2008年9月7日 星期日

上林春松<双鶴の白>

御薄茶 双鶴の白(そうかくのしろ)
今日庵坐忘斎宗匠御好

昨天稽古用的茶、之前都是用福壽園的、昨天竟然出現かんばやし的茶。 茶罐是紫色黑色、感覺還蠻特別的、昨天喝的應該是這個沒錯?!因為我只記得是xxの白、然後是坐忘斎喜好、是也蠻不錯喝、但我是覺得味道沒小山園<松柏>香?!價格是也蠻可以接受的20g 893円。

かんばやし這家店在宇治也算是頂頂有名、往平等院的那條商店街上 有兩家かんばやし、一家是寫"上林"、一家是寫平假名"かんばやし" 寫片假名那家才是真的、不過寫漢字那家店面是比較氣派。

簡單說かんばやし一族以前是管理宇治茶師的頭頭、為豐臣秀吉跟德川家康所重用。


栄西禅師によって伝えられた中国のお茶は、今から約800年前に明恵上人によって気候・風土の自然条件に恵まれた宇治の地に育てられました。香り高い宇治茶のおいしさは、もともとこの気候と風土に恵まれた自然条件にありますが、高級品の産地として名高くなったのは、室町時代に足利将軍義満が“宇治七名園”を 指定したころにはじまります。当時より、将軍家より手厚い庇護を受け、茶頭取として権力を二分した茶師の一人、上林掃部(かんばやしかもん)を始祖に持つ「かんばやし」の歩みは、そのまま宇治茶の歴史と言えます。

その後、「北野大茶会」で有名なようにお茶を好み、茶道を民衆に広めた秀吉の時代には、初代上林春松軒が現在の店舗である宇治橋の西一丁に居を構え、豊太閤に重く用いられました。

秀吉の没後、政所が江戸幕府に移ってからも茶道はますます盛んとない、徳川家康は上林一族に宇治茶の総支配を仰せつけ、宇治代官に任じて宇治茶を重用したのであります。

三代将軍家光の時代には、幕府及び江戸の将軍家が毎年自家用のお茶を宇治の茶師から取り寄せるのに、その道中茶壺の往来に豪華な行列を行ったことは、いわゆる「お茶壺道中」として有名な話です。上林一族は禁裏御所御用、幕府御用の茶師となり最高の位の御物茶師として江戸時代をおくりました。

明治に入って、維新後、廃藩置県の令が行われ将軍家や諸国大名の庇護が全くなくなったお茶師はその殆どが転廃業を余儀なくされ、姿を消してゆきましたが、十一代上林春松は、明治初期に初めて作られた「玉露」を扱い、多くの愛好者を得て、再び盛んになった茶道と共に宇治茶の老舗として今日に至っております。

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